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サンダルウッドの丘の家より ♯2 / 山崎美弥子

ハワイ・モロカイ島在住の画家、山崎美弥子さんによるエッセイです。
美弥子さんが初めてハワイの地を踏んだ時から、モロカイ島で住まいを構えるまでを振り返りながら、2007年から10年間、家族で暮らした家「サンダルウッドの丘の家」での日々、長女の誕生から7歳になるまでが綴られています。

第一章 前編
ここにたどり着くまで/オペークとスパークル

東京に生まれたわたしは大人になり、大都会(まち)で、数千回も昼と夜とを繰り返していました。昼と夜の吹き溜まりの中の、とある月が欠けはじめたころのこと。わたしの両目に飛び込んでは頭の中をイメージで埋め尽くす、その「色たち」が、なぜだか不思議と変わりはじめました。それまではここちよかったはずのある種の色たちに、興味が無くなってしまったわたしは、まるで正体のわからない何かを探そうとする、不可視の迷路のような空間に落ちいってしまったのです。真綿の中でもがいているよう。寝ても覚めても。それはまるで、終わりも無く続くかのように感じられ、焦燥感さえ生まれました 。でも、その中に、たしかなる小さな光があるのです。

 

…忽然と、真夜中のブランケットの中、眠りの世界から目覚めたわたしは、遂に到達したのです。まぶたのうらに映る、まあたらしい色と色。ペール、ドューン、ライト、オペークとスパークル…、

「…島…!」

 

それから間も無い二月(ふたつき)あとのことでした。はじめてハワイに、わたしがこの自分の身体を届けることになったのは。島と島とをゆきました。そしてモロカイ島へ。そう、初めて降り立ったこの島の地で、最初に出会ったひと。それは、不思議なマナ(エネルギー)をからだの奥底に沈ませた、カナカ・マオリ(ハワイアン)の女性でした。その魂のルーツを、しっかりと大地に根づかせたひと。…緑の黒髪、澄んだ瞳、それは深くまるで蒼く、トランスペアレントなスモーキー・サファイアの海。

「あの場所へ行きなさい。」

この島のことを何も知らなかったわたしが、尊きナ・アウマクア(神々/先祖たち)の聖なる地に導かれたのです。伝統的な祈りかたなど、知るはずも無かった。けれど、無心でただ祈ることはできた。こころをこめることはできた。常夏の島にもささやかに訪れる、遅い金天の青天井のその下で。

玉の緒のように、そう、ほんとに夢みたいに短いハワイの島々へのトリップから、大都会(まち)の、終わり無い灰色の日常に戻ってしばらくしてのこと、わたしはその大都会(まち)で大流行のヤマイにかかりました。それは、ハートの奥の奥が、寂しく痛く、いたくていたくていたくて、どんな大病院の名医にさえ治すことができない、深刻なヤマイでした。この大都会(まち)の、たくさんの人たちがこのヤマイに苦しんでいる。そう、今も…。術を知らず、島へとただ、電話をかけるわたし。

 

「すぐにここに来なさい。」

受話器の向こうから島のひとは、そう、わたしの耳の中にその声をやさしく、でも、しっかりと投げいれました。その声は、わたしの魂とからだとを迷いもなく動かしたのです。

わたしはこの人たちのハレ(家)へと導かれました。島の言葉、オレロ・ハワイ(ハワイ語)を暗号のように話す、褐色の美しき人たちの家。モロカイ島。この島に、いにしえの時から今も伝わる、深い祈り。「プレ・オ・オ」。わたしは、あたりまえのはずなのに、自分の中からいつのまにか失われてしまっていたものを、この家で見つけました。一番大切なことを、思い出しはじめたのです。…それは、この島のどこにだってある、裸足のこどもらがかけまわる、聖者たちの家でした。そうしてわたしは、ひらかれて、ほどかれてゆきました。ポハク(石)のように冷たく固い、ヤマイという「記憶」は、いつしかどこかに消え去ってゆきました。一言、一言、この人たちから生まれ出る、他愛ない言葉の持つ温度。それはあたたかく。わたしによく似た誰もが信じてしまった、氷のように冷えきった、この世界のまぼろしの姿のすべてを今、溶かしきってしまうほどに。

山崎美弥子

山崎美弥子

1969年東京生まれ。
多摩美術大学卒業後、東京を拠点にアーティストとして活動。


一転し、2004年より船上生活を始める。のち、ハワイ・モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。


現在は東に数マイル移動し、「島の天国131番地」と呼ぶその家で、心理学者の夫と二人の娘、馬や犬たちと、海と空や花を絵描きながら暮らしている。

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