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サンダルウッドの丘の家より #18 / 山崎美弥子

ハワイ・モロカイ島在住の画家、山崎美弥子さんによるエッセイです。
美弥子さんが初めてハワイの地を踏んだ時から、モロカイ島で住まいを構えるまでを振り返りながら、2007年から10年間、家族で暮らした家「サンダルウッドの丘の家」での日々、長女の誕生から7歳になるまでが綴られています。

第七章 後編  時をこえたところ/ポノ

 「モロカイ・クウ・ホメ…。(モロカイ、わたしの家…。)」

 はじめて聞いたロノは、そう歌っていました。その歌声は朴訥な語りのようで。あるいは、まるで、法螺貝(ほらがい)の音のようだと言った旅人もいました。ハワイの四大神の一神であるロノ。彼はその名を授かった、この島の、それは美しくハスキーな声をした歌い手で、カフナの末裔だともいう。マナのこめられた歌。モロカイ島の東のプウ・オ・ホク(星の丘)という名の地で、伝説の賢者ラニカウラの、ククイの森を駆け回って育ったという。その歌声を聴くがためだけに、島まで訪れる人もいるのです。何千ドルもあげるから、何処か遠い海の向こうの、異国の大きな場所で歌って欲しいと、オファーを受けたこともあるといいます。でも、彼はただ、この島にいるのです。ただこの島で、歌っているのです。時に、奔放に感情をあらわにするこの歌い手のことを、我侭(わがまま)だという人も。でもその歌声は、すべてを忘れさせることでしょう。ケ・アクア(神様)から確実に授かった、その飾りなんて無い歌声が。

 もっともわたしの深みに届く、あの曲のタイトルは、「ヘブン・アット・ワン・スリー・ワン」。彼が書いたインストゥルメンタル。ワン・スリー・ワン(131)とは、彼の住まう家の番号で、仮住まいのその家をヘブン(天国)と呼び、夢見な音をウクレレで聴かせるその伝説の歌い手の、歌ってない曲。わたしを身体から離す曲。

 

きらかいの七歳のバースデー・イブのことでした。西の果てへと向かいます。それは「ロノ(神)の住処」と名づけられた海辺で、一夜を過ごしたいという一日早いバースデー・ガールからのリクエストを叶えるために。小さなマウナロアの街を越えて、海辺に到達するまでの、終わりなど無いかのように続く真っ赤なダートロード。それはたとえば、人が世界の果てに思いを馳せる時、そのこころに絵描くであろうビジョンそのまま。赤い土ぼこりは、まるで小さな竜巻のようにわたしたちを乗せたクルマに覆い被り、そして風に遊ばれては吹き去っていきます。荒野のように広がる乾いた地。幾マイルも続く百八十度の水平線の風景。ゆっくりと、そして時には急ぎ足で、溝にはまらないようクルマを転がす、くねったガタゴト道の終着点まで。この海辺で、きらかいの六歳最後の夜を過ごすことにしたのです。家族四人と、必然のようにこの時に、この島に集った仲間たち、レカとイ、それからキコの三人組を招いて。それは明るいマへアラニ(満月)の晩。白砂に火を焚き、流星を探すには眩しすぎる月明かりの下。バースデー・イブ・パーティーは途切れることの無い笑い声に満ち。誰かのアイディアで、枝の先に火を点して絵筆に見立てると、真っ黒な空中というカンバスに、朱色に燃え輝く輪郭線を描きました。競うように。自慢の写真機で写すのはレカ。まるでゲームのように皆でかわるがわる。

 

夜が深まっても終わらない楽しげな時を背景に、わたしは思いに耽りました。…最初の女の子、きらかいが生まれて来る前のこと、週末が来るたびにレビーがわたしを連れて来たのも、同じこの海辺でした。 耕と豊饒の神、ロノの住処という言葉の意味を持つ、この海岸線。九月には、最も鍛えられた勇敢な者たちが世界中から集う、最難関のカヌー・レースのスターティング・ポイントとなる場所。…そして七年前のわたしがここで、きらかいを宿した大きなおなかをぽかんと、この波に浮かばせて見つめたもの。それは、捉えられないほどゆっくりと、でも、上空を確かに流れゆく雲たち。いつまでも、いつまでも。

 

「ふたりだけでここに来るのはこの週末が最後だろうか。」

 

レビーとふたり、そう語りながら見届けたのは、線香花火の玉のようなバーミリオンに燃え落ちる夕日。レビーは長くしっかりとしたキアヴェの木の枝を拾っては、渚に大きなアルファベットで、三人家族になるわたしたちの名前を、ひとりひとり記したものでした。産み月だったその頃、さらにその三年後の未来には二人目の女の子、たまらかいがやって来ることなど、ふたりとも想像さえしてはいませんでした。

 きらかいを迎えてからわたしたちは、七回の、常夏にも確かに在るゆるやかな四季をめぐりました。速度を上げたクルマの窓に流れる、捕まえることなどできない風景のように通り過ぎた時の、その面影を見つめます。波の立たないフラットな海のように穏やかな気持ちで。サンダルウッドの丘にわたしたちの家を建て、その家で暮らし始めてからは五回目の十二ヶ月。そして、その途中にはたまらかいが誕生し、あかるい砂浜色に塗った、真新しかった壁という壁のこどもの手の高さが、今では赤土色の小さな手跡で一杯に。それは小さな幸福の軌跡。

 

 パーティーは終盤となり、海辺に灯した火が小さくなるころ、ひとりまたひとりと眠りにつきます。さざ波が運ぶ、すずやかな夜の海の匂い。…その晩、月の光に隠された、流れた星たちの見えない痕の下。わたしは夜終、 目を開けては思い、また瞼を閉じては眠りました。この海辺に作ったここちよい寝床で。からだを包んだブランケットで遮られても、まだ伝わって来る大地のしっとりとした優しい息づかいと、ぬくもりを感じながら。

 

目覚めた青。誕生日の朝が始まる兆しの時間帯。

 

「バースデー・プレゼントをあげよう。」

 

 そう言って、レビーは眠っていたきらかいをしなやかに起こし、東の方角へ彼女をさらってゆきました。小さいたまらかいはまだ、わたしのそばで平和な寝息をたてています。刻々と移り変わる夜明けというグラデーションのただなか。…そして、海辺の一帯が、あたたかいクリーム・イエローに弛み始めたころ、きらかいは、レビーと手を繋いでわたしたちのもとへとふたたび舞い戻って来ました。

 笑顔。

 

「パパからバースデー・プレゼントをもらったの。それはあさひだったの…!」

 

そのプレゼントは、 決して誰にも手が届かない、誰のものにもなることは無い最高級品。まあるくまるくまあるく燃えて、きっと珊瑚朱色にゆれていたことでしょう、まばゆくひかりかがやいて。七歳の誕生日のあさひの色は、この娘(こ)の血となり肉となり、記憶の一部として、 受け継がれてゆくことでしょう。生まれ来る、未来のこどもたちにまで。 千年後の未来にまで。そう、そのもっとあとまで。

 

「ハウオリ・ラ・ハナウ・イア・オエ(誕生日おめでとう)。」

 

わたしはきらかいを抱きしめました。

 

さぁ、大きなピクニック・バスケットからキャスト・アイロンのフライパンを取り出して、レビーが、夜が明けてから、新たに起こした焚き火でパンケーキを焼きはじめます。わたしたちのメンドリたちが生んだタマゴと、空き瓶に入れて持って来たオーガニックのミルクとバターに全粉小麦粉。それから、ベーキングソーダと巣箱から収穫したホーム・メイドのキアヴェのはちみつ。海辺の朝食を、よりハッピーにするために必要なものは、どれもちゃんと揃っています。 我が家の丘のガーデンから捥ぎ取ったパパイヤも忘れずに持って来ました。仲間たちが散歩からもどり、そろそろ、朝寝坊のたまらかいも目を覚ますころ。 海辺にやって来るたびに使い古され、底が煤だらけになった、セルリアンブルーに牡蠣色の細かいドットが散らかったホーローのケトル。焚き火にかざして湯を沸かして、粉にひかれた穀物コーヒーのマグカップに注ぐ。たちまち芳ばしい香りと一緒に白い湯気、ちっぽけで可愛い、いたずらゴーストのように立ち上がりました。

…砕けるパーティー・クラッカーのように声を上げて笑う、みんなの頬という頬を、バースデー・プレゼントのあさひがピカピカに照らして、一色(ひといろ)に染めてゆきます。

 

ふと、視線を遠くへ投げてみる。続いていく波。

 

その朝の波間には、アンカーを降ろした旅の途中のセイル・ボートが、幾艘か浮かんでいました。その純白のマストは真っすぐに、高く。すべての色たちを超えた、果てしなき天へと向かって。

山崎美弥子

山崎美弥子

1969年東京生まれ。
多摩美術大学卒業後、東京を拠点にアーティストとして活動。


一転し、2004年より船上生活を始める。のち、ハワイ・モロカイ島のサンダルウッドの丘に家を建てる。


現在は東に数マイル移動し、「島の天国131番地」と呼ぶその家で、心理学者の夫と二人の娘、馬や犬たちと、海と空や花を絵描きながら暮らしている。

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