ʻANOʻANO LIFE ♯11 / Tane
Home, Sweet Home 1

マウイ島に着いた頃、よくハイキングに行ったオロワルという場所。
皆さんアロハ!
今回は私たち家族が、今住んでるマウイのお家にたどり着くまでのエピソード。
− 日本を離れて違う国に住む。
私が独身時代から心の奥で決めていたこと。
外国に住むならこれを持っていこう!
現地の人たちにこれを見せてあげよう!
と押入れの収納箱に、いろんなものを準備して夢を膨らませていました。
海外で暮らしたい!
それは長年の夢だったのですが、とはいえ学生時代は英語が苦手。
中学から高校までいい成績をとったことはありません。
もちろん留学するほどの英語力はなく、時が過ぎて、、、、
働き始めてから、父の友達がオーストラリアのワーキングホリデーに行っていたのを聞いたことが、今の暮らしにたどり着くすべての始まりでした。
この連載で以前書きましたが、私もオーストラリアにワーキングホリデーに行き、そこで今の旦那さんと知り合い結婚。
日本で13年家族と暮らし、2013年からマウイ島に移住し夢がかないました。
あのときのタンスにしまっていたたくさんの物たちは、ワーキングホリデー時代に活躍して、今少しだけ手元にあります。
どれも思い出の品です。
(英語は… センスないかも〜笑)
さて、前置きが長かったのですが、マウイ島に住むまでは、オーストラリアに移住を考えたり、アメリカ本土に行く計画もありました。
けれど旦那さんの仕事がハワイにあり、その中でもマウイは海も山も程よい街もあって、生活するのに良い場所と選びました。
そして、まずは旦那さんが先にマウイに行きましたが、家族で住める家がなかなかみつかりませんでした。
日本からもネットで調べていましたが、マウイに着いて10か月は借家で生活しました。

マウイ島に着いた日。

日本から222個の荷物を持って行きました。

荷物は私たちがマウイ島に行く2ヶ月前に届きました。部屋が2つ、荷物で満杯に。洗面台まで荷物でいっぱいに。
そこはラハイナという地域で、とにかく暑い!
雨もあまり降らない!
2階の部屋を借りていたのですが、毎日冷房をつけていたら、電気代が日本円で3万円ほどになってしまいました。
びっくりして、節約のためにその後は冷房を控えるようにしたのですが、家の中が40度以上になることも。
ここから逃れたい〜
と不動産屋さんに行き、20軒くらい物件を見たのですが、心がときめくような、住みたいと思える家はなく、なんとそこで10か月、がまんの生活を続けました。

ラハイナに向かう道。当時はマウイ島で唯一のトンネルでした。

大きな木の木陰を進んで、空港から45分ぐらいでラハイナへ。

当時2階を借りていたお家。

家から歩いて1分もかからない場所に海が。波の音も聞こえました。
そんなある夜、パソコンで見ていた物件にふと目がとまり、とりあえず見に行こうかな〜と軽く思っていたところ、たまたまその週に一回のみのオープンハウス(見学会)があり、家族で見に行くことになりました。
そう、それこそが今住んでいるお家です!
ここから、この家での私たち家族のストーリーが始まります。
続きは次回。

ここはラハイナに住んでいた頃よく行っていたビーチ。

久しぶりに家族みんなで行きました。

洞窟もあって、ボーイズのお気に入り。

長男は18歳になりました。
Tane
1973年生まれ。三重県出身。
1997年にワーキングホリデーで訪れたオーストラリアにて、アメリカ人の夫と出会う。 2013年、家族でハワイ州マウイ島に移住。 4人の男の子を育てながら、ステンド硝子やフュージングの作品制作を行う。 ステンド硝子講師。